きっかけになった出来事

10年前


朗読教室を始めたきっかけは?そして目的は?
と聞かれた時
こんなことを言ったことがありました。


「世の中からいじめがなくなればいいなと思います」

笑 答えになってないですね。


実は本当はこれが言いたいんですが、上手く表現できなかったので

「来られた方が、活き活き元気に、楽しく前向きに過ごせるように」

と、伝えることが多くなりました。

ですが、やっぱり、「いじめをなくすこと」これは私の活動の根っこです。
なぜそうなったのか
きっかけになったお話をさせてください。


_______


あれは、中学1年生のころ私は、内弁慶な子でした。外では、自分の意見を言えません。
授業で発言や友達にも、自分の話ができない子でした。


でも友達はいました。そのころは、色んなグループがあり私は入れるところに入っていました。
そのグループもどのグループでも
居心地がいいと思うことなんて、一生ないのではないか
そう思うくらい、
友達複数の中にいるのは苦痛でしかありませんでした。


(実は 大人になっても、その傾向はありました。だいぶマシになりましたが)

さて、その時の所属グループ には 女番長的な子がいました
その子は、決して目立つタイプではないですが

教祖様タイプ。

そうです、私は、その子に 「洗脳」されたのです。

それまで、そのグループで私の役割は いわゆる パシリ

それでも、別によかったんです。その役割は ラクだから。

ですが だんだん ただのパシリではなくなりました

ある時から、その子は私に言い続けました


〇〇さんの 持ち物を 隠して
〇〇さんの たてぶえを トイレで汚して
〇〇さんの お金を 盗んで

そして それはだんだん エスカレートして

〇〇さんを あやめて

そのために恐ろしい方法を、たくさん 提案してきました

そう言われはじめた頃には、私の頭は、おかしくなっていました

それをしない方が間違っている 

と思うようになったのです。


それまでは、
おかしいよ、絶対やってはいけないことをやっているよ、
と思っていました。

でも、誰にも相談できなかった….


次第に、彼女の言いなりになりました。


そして、そのいたずらごとは、とうとう警察沙汰へと発展してしまいました。

気がつけば、関わった子の 親が全て、学校に呼び出され夜な夜な 話し合いが行われ

その場に私は何度もいました

本当に辛かった。


もう、この時点で、細かな記憶はありません。

でも、要所、要所、しっかり記憶があるところがあるのです。

その記憶に残っことが、私の今の根っこ。


それは、、、(もう少しだけお付き合いください)



警察が呼ばれる前、私は長い事情聴取を受けました
警察にではありません。



その時の学年主任の先生です


ある日、先生の個室で問われました。

「全部話してくれないか?」

でも私は頑なに、口を開きませんでした。


今思うと、あんな耐久性があったことが不思議でならないくらい


1日目も2日目も3日目も


1日おそらく、、、6時間くらい 無言の私に付き合ってくださっていたと思います。



だってその時は、授業を受けずに、ずっと先生の部屋で 下校時間まで座っていたのですもの。

ただ ただ 黙って 向かい合っているだけ。


お手洗いくらいにしか、先生は席を立たれませんでした。


雑談さえ喋った覚えはありません。


覚えているのは、

私と先生の間にストーブがあり その燃えている火だけをじっと見ていたこと。



でも、その向こう側にいらっしゃる先生も、視界に入っていたこと。

先生はしょっちゅう足を組み替えながらずっと座っていらっしゃったこと。

長い長い時間を、こうして過ごして

何時間経った頃でしょう


先生の言葉が耳に入りました


「俺は、お前が、話してくれると思ってる。(お前は 悪くないから)」

急に 私は話し出しました。



自分の声が、自分の耳に聞こえた事は何となく覚えていますが
その後の記憶が全くありません。


何を話したのか、
泣いたのか、
叫んだのか?


全く覚えていません。



そのあとでのことで、はっきり記憶にある事は 数日後のこと。

主犯格の彼女に 手紙を書いた事。


今まで、言いたかった 一番言いたかった事を書いた事


「私は〇〇ちゃんとは、もう 2度と 話しません」


はっきり覚えています。
その時の、心の状態をはっきり・・・・


この話は、この手紙が結末です。


結末までには警察のことなど、もっと大変なことがたくさんあったのですが

その記憶はなぜかおぼろげです。


被害者になってしまった友達や、その親御さん、他の友達、自分の両親 に 大きな迷惑をかけた事は確かです。

でもはっきり思い出せるのは


先生が私を信じてくれた事




自分の気持ちを正直に手紙に書いた事

この二つです。


今となっては、自分の都合の良い事しか心に残ってないそんな脳機能に 感謝です。


そうでないと、きっと今、この世にいなかったかもしれません。


実際 危ない時がありました。

今、この世で、幸せに笑っていられるのはあの時生きてたから。


あのとき先生が、私を信じてくれたから


自分の良心を、自分で少しでも、信じることができたから

だから今、生きていられるのです。


ずっと、蓋をしてきたこの事は、家族も知りません。


振り返って、誰かと話すこともありません。


その時関わっていた友達は 15人くらいいました。
みんなそれぞれ、事情聴取があったのかもしれません。

でも、その後、学校で顔を合わすことがあっても

大人になってから、会っても
話しても

そのことに触れる事はありません。



先生とも、その事件以降、話していません。


もしかしたら夢だったのかも

そう思いたかったですが、たまに起こるフラッシュバックがあったので

その都度、やっぱり本当だったんだ と 苦しみました。


救いとなったのは


最後に書いた 手紙  覚えています、筆が止まらなかった事。

私は、私の心の中のことを、しっかり認めた。
それが、きっと、生きる力になったのだと思います。


その手紙が、彼女の手に渡ったのかどうかは 知りません
そんなこと、どうでもいいのです。


私が、私を信じることができた。生きる力が湧いた


そうさせてくれた、 あの 先生 

こんな私を信じてくださってありがとうございました。

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これが、私の活動の根っこです。



もちろん、この思春期の出来事で、私の性格形成がなされた事は言うまでもなく
今までの人付き合いにも影響しています。性格にも影響しています。


ですが、少しづつ、変わっています。
変われるんだと実感しています。



話は、まとまらず、長くなりましたが
これが、


「私が私を信じるために」をコンセプトにしたきっかけの出来事です。


まだまだ、他にもあるんですけどね 笑


皆さんも、何かしら、ありますよねーーー!
また、いつか語り合いましょう♪